過去の活動(その2)

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2008年12月27日(土) 長崎古代史研究会(会場は長崎市立図書館)に参加しました。研究会の詳細は右欄の「長崎古代史研究会」をクリックしてください。
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2008年11月29日(土) 長崎古代史研究会(会場は活水女子大学東山手3号館)に参加しました。研究会の詳細は右欄の「長崎古代史研究会」をクリックしてください。 

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2008年10月7~9日の長崎は、ご存じのおくんちです。今年も賑やかでした。



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2008年9月27日 長崎古代史研究会(会場は活水女子大学東山手3号館)に参加しました。研究会の詳細は右欄の「長崎古代史研究会」をクリックしてください。

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2008年9月27日 活水中学校・高等学校の体育大会に行ってみました。快晴で生徒はみんな元気でした。活水の体育大会も今年で第109回目です。活水中高には、旧鎮西学院(現在諫早市)の被爆校舎があり、今でも使っています。また学校のある竹の久保には、かつて貝塚もありました.

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2008年9月11日 出張にて佐賀県に行きました。佐賀藩は長崎警備を担当し、諫早市や長崎市深堀町も佐賀藩領でした。 

鹿島城大手門


鹿島城赤門(現在は鹿島高等学校正門)

 まず鹿島城跡(鹿島市)です。
 佐賀藩は、複雑な事情をともなって戦国大名・龍造寺氏より鍋島氏へと政権交代しました。その影響もあって龍造寺系家臣の勢力が強く、また鍋島一門の有力支藩(内分支藩)が存在しました。鹿島藩もそのひとつです。鹿島城そのものは佐賀の乱(1874=明治7年)で焼けましたが、ふたつの城門は残りました。
 10世紀に編纂された『延喜式』兵部省によると、「鹿島馬牧」があったとされます。肥前鹿島駅から城の方向に歩いてみると、ずっと平らで、そのうち丘陵にかかります。ここに牧場があったとすると、平地を溝や柵で囲ったか、谷戸の一方に柵を作って牧としたか、二つの可能性があると感じました。




 次は武雄鍋島家の別邸庭園です。武雄鍋島家(もと塚崎後藤氏)は龍造寺系の有力者で、佐賀藩内では親類同格でした。19世紀にはいると、当主・鍋島茂義、茂昌は洋学の導入に勤しみ、大砲の鋳造も手がけました。また長崎の砲術家・高島秋帆に家臣とともに茂義も弟子入りしています。近くの歴史資料館には武雄洋学の常設展示室(蘭学館)があります。ちなみにここは武雄温泉の近くで、奈良時代に編纂された『肥前国風土記』杵島郡にも「郡の西に湯の泉出でたり」とあります。


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2008年8月10日 活水女子大学のオープンキャンパスでした。お手伝いの在学生の皆さん、お疲れ様でした。木簡のレプリカを作成して、展示しました。


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2008年7月12日 社会科学セミナー(3年生)の学生が、長崎古代史研究会(会場 長崎大学教育学部)に参加しました。研究会の詳細は右欄の「長崎古代史研究会」をクリックしてください。

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2008年7月5日 人間関係学科4年生による卒論中間報告会(於 活水女子大学東山手キャンパス・本館)がありました。3年生も原則全員参加です。副査教員の思いがけない質問や3年生の結構鋭い質問にたじたじしたり、4年生には良い経験になったようです。会は盛況に終わりました。

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2008年6月6日 社会科学セミナーの一環として、ゼミ生と悟真寺の稲佐国際墓地に行きました。

    
 終南山悟真寺は長崎市曙町にある浄土宗の寺院です。長崎のキリシタン全盛時代に、仏教布教の拠点として慶長3年(1598)に聖誉を開基とし、明の商人・欧陽華宇、張吉泉の援助で開かれたとされます。今も華僑の人たちのお墓があります。また出島でなくなったオランダ人のためのオランダ墓地、幕末にロシア人が稲佐を拠点にしようとした関係もあってできたロシア人墓地、またアメリカ人墓地(ポルトガル人、フランス人も葬られているそうです)もあります。駐日オランダ大使が献花にきたり、また中段左写真の堂ではロシア正教の主教がミサを行います。お寺のかたからはゴルバチョフ・ソ連大統領が訪問した時の様子などのお話をうかがいました。

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2008年4月12日 長崎古代史研究会(会場 活水女子大学)で報告をしました。
詳細は右欄の「長崎古代史研究会」をクリックしてください。

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2007年12月に浙江工商大学で開催された、中日若手研究者交流ワークショップに参加しました。杭州には文人あこがれの西湖があります。ホテルもこの近くでした。




 




















歓迎会で出た魚の鍋。おいしかったです。














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2007年9月にはじめて西域に行きました。中央アジアの沙漠の感覚をはじめて垣間見ました。
西域にはムスリム(イスラム教徒)が多く、しかもラマダン(断食月)だったため、機内食は肉抜きのムスリム弁当によくお目にかかりました。