ご挨拶


久しぶりの更新です

大瀬戸歴史民俗資料館に展示の石鍋(西海市教育委員会提供)

2015年3月に活水女子大学の下川達彌教授や考古学関係の方に案内をして頂いて、長崎県西海市のホゲット石鍋製作所跡に行ってきました。10世紀以降、この場所で大量に製作された滑石製の石鍋が、西日本各地にもたらされて使われました。遺跡の写真は追って掲載します。

最近の活動・過去の活動

2015年の2月19日は朔旦雨水です。朔旦雨水は、新月の時刻と24節気の雨水(太陽が黄経330度に位置)の時刻が、同じ日になることです。旧暦では雨水を含む月が正月です。つまり朔旦雨水は、元日(朔旦)に雨水があるということです。
寒いながらも、そろそろ暖かくなり始める時分ですが、皆さんにはその実感はありますか?

昔の中国では19年ごとに朔旦冬至になると考えていました。よって朔旦冬至はカレンダーの出発点(章首)とされました。ただし元嘉暦という暦法では、朔旦雨水がその出発点となります。元嘉暦は7世紀まで、カレンダー作りのために倭国(日本)でも使われた暦法です。



長崎はこの春節の日(旧暦の元日)から、ランタンフェスティバルが始まります。毎年大勢の人で、賑わいます。写真は朔旦雨水の日の、大学の近く、新地中華街の風景です。





2014年12月22日は朔旦冬至でした。朔旦冬至は新月の時刻と冬至(太陽が黄経270度に位置)の時刻が同じ日になることです。1日の昼の時間がこの日の頃もっとも短く、しかも新月の前後なので、光の少ない日だとも言えます。冬至は今はだいたい12月22日頃ですが、旧暦の朔旦冬至の日は11月1日です。

昔の中国では19年ごとに朔旦冬至になると考えていました。よって朔旦冬至はカレンダーの出発点(章首)とされました。しかし実はいつも19年ごとになるとは限りません。日本では桓武天皇が延暦3年(784)に祝ったのが最初です。その後、朝廷では、おおむね19年ごとにこの祝いを続けました。計算上19年で朔旦冬至とならなければ、暦を変えてまで朔旦冬至にしています。



2014年12月20日(土)は活水女子大学クリーンアップ大作戦の日でした。晴れの日は大学周辺を学生・職員が掃除しますが、この日はあいにくの雨だったため、学内の掃除をしました。クリスマスなので、本館玄関横には降誕日の飾り付けがあります。








2014年11月22日・23日と、文学部1年生の引率で、諫早青少年自然の家・こどもの城に合宿に行きました。良い企画でした。紅葉もきれいでした。














2014年11月20日(木)に佐世保に行きました。帰りにこの店で佐世保バーガーを食べました。


2014日10月8日(水)今日は長崎くんちです。これは西浜町の龍船(じゃぶね)が、新地中華街の門から出て行くところです。今日は満月で、向こうに見える月は只今月食です。


この日、夜9時前の月食の様子です。




2014年7月24日


写真は活水女子大学3号館から見た、ダイヤモンドプリンセスです。この豪華客船は長崎港で建造され、たびたび里帰りして戻ってきます。このとき、長崎の街は外国人観光客で賑わいます。








2014年7月23、24日(水・木)と、長崎市内の飯香浦素麺祭(いかのうらそうめんまつり)に行ってきました。主に成尾地蔵尊のお堂で拝見しました。地蔵盆の祭りです。(神奈川大学や長崎大学の民俗学研究者の方も来ていました。太田尾の方にもちょっとだけお邪魔しました)

 そうめんを編んで(本尊の地蔵尊の前のカーテンや、その前の真ん中2台の飾り)、お菓子をかざって、とても豪華で、「盆と正月が一緒に来た」という昔のことばが実感できました。真ん中の桃は、巨大な桃型の饅頭をみっつ、榊を挟んで紐で組み合わせたものです。他にも饅頭や干菓子があります。

 快く見学させて下さった地元の皆様、有難うございます。


これは、90mだったかある、流しそうめんです。現在ではこの祭で使った素麺を、壮大なそうめん流しにして食べます。ただし私は授業があったため、このフィナーレでそうめんを食べることができませんでした。残念。




2014年6月28日(土)人間関係基礎セミナーⅠで、長崎の史跡探索をしました。写真は松森神社の茅の輪くぐりです。厄除けになるとされています。


これは長崎県立図書館や長崎歴史文化博物館の近くにある、立山防空壕跡です。第2次世界大戦中は、空襲を避けるため防空壕が造られました。ここには長崎県防空本部が置かれ、空襲警報が鳴ると、知事以下が集まり対応を協議しました。なお出入り口が長崎(南部)の方を向いているため、反対方向の浦上に落ちた原爆の被害が最初はわからなかったそうです。




2014年5月17日(土)のスポーツデイのあと、人間関係基礎セミナーⅠで、長崎探索をしました。さすが、受講生のみなさんは若いだけに体力がある! 写真は、大学近くの「大徳寺」の梅が枝餅屋さんです。ちなみに「寺はないのに大徳寺」と言われる場所で、今はお寺はありません。なお長崎の梅が枝餅は丸くて大きくて、太宰府天満宮でよく食べた薄くて長い梅が枝餅とちょっと違います。




『日本史を学ぶための<古代の暦>入門』という本を出しました。

↓吉川弘文館のHPをご覧ください。

http://www.yoshikawa-k.co.jp/author/a13732.html




2014年4月2日(水)に入学式がありました。皆さん、頑張りましょう。

↓そのときの様子は大学のHPをご覧ください。

http://www.kwassui.ac.jp/university/news_topic/topic/topic_500/topic_500.html


2014年3月に国際日本文化研究センター「日本的時空観の形成」班で、対馬に行きました。対馬はやはり面白い場所です。
             

多久頭魂神社
椎根の石屋根

方墳の矢立二号墳
金田城



浅芽湾側の小船越
藻小屋(麦の肥料にする藻を置く場所)


芋崎(ポサードニク号事件の舞台)






       


















2014年3月7日(金)に卒業式がありました。皆さん、お元気で。

↓そのときの様子は大学のHPをご覧ください。

http://www.kwassui.ac.jp/university/news_topic/topic/topic_495/topic_495.html



2014年1月11日(土)に人間関係学科の卒業論文審査会がありました。
4年生の皆さん、よく頑張りました。

↓そのときの様子は学科HPをご覧ください。

http://www.kwassui.ac.jp/university/news_topic/topic/topic_473/topic_473.html



9月に京都に行きました。

京都御所の横の聖アグネス教会です
晴明神社の一条戻り橋です


9月11日より、大阪の桃山学院大学地域連携研究プロジェクトグループ(「天変地異の社会学」)と、長崎県内の史蹟を廻りました。


長崎原爆資料館

長崎原爆資料館は私も久しぶりです。

いつみても、印象は鮮烈です。









雲仙温泉のいわゆる「地獄めぐり」の途中です。今は山の中の保養地です。

温泉は硫黄の臭いがします。

8世紀前半に編纂された地誌『肥前国風土記』高来郡条には、「峯の湯の泉」として記されています。

「熱きこと、余の湯に異なれり。ただ、冷き水を和えて、すなわち沐浴することをう。その味は酸し。流黄・白土、また和松あり」(『風土記』)

なぜか昔のおもちゃがたくさん売っている店も、近くにありました。


看板のアルファベット表記はほとんどが「Jigoku」でした。
「Hell」と訳すと、どの看板もhellだらけになって、外国人観光客が来なくなるからかもしれません。




殉教碑です。
江戸幕府による禁制後も転ばないキリシタンを責める、
「山入り」もここで行われました。








古代よりある温泉神社です。たとえば『日本三代実録』貞観2年(860)2月8日己丑条では、「温泉神」が従五位上となっています。
天草・島原の乱の舞台、原城跡にも行きました。
原城正門跡(激戦地で人骨が多く発見されたとのこと)
原城からの眺め























7月21日(日)、8月10日(土)オープンキャンパスでした。

人間関係学科は初めて、2号館で行いました。会場も明るくて、よかったと思います。

ご来場下さった高校生、保護者の方々、有難うございました。

スタッフの皆さん、お疲れ様でした。

♫6月12日(木)ゼミ生と長崎史蹟探索に出かけました。

蛍茶屋を出発して、もともとの長崎の支配者、長崎氏の居館(現在の桜馬場中学)近くにかつてあった、トードス・オス・サントス教会跡(現在は春徳寺)に行きました。

トードスオスサントス教会跡

長崎の諏訪神社(おすわさん)






続いて、お諏訪さんまで歩きました。秋の大祭のおくんちで有名ですね。江戸幕府によるキリシタン禁制で、教会にかわって長崎の鎮守となりました。



松森神社
近くの松森天満宮にも行きました。そのあと、あちこちより道をして、最初にキリシタンの町・長崎が築かれた県庁付近に行き、県庁(もとの長崎奉行所)の下の出島に到着しました。



7月13日(土) 卒業論文中間報告会でした。皆さん、お疲れ様でした。


4月1日始業式、2日入学式と、今年も時間に追われていました。とにかく入学生の皆さん、おめでとうございます。


3月7日(木)
今日は卒業式です。おめでとうございます。

卒業式では式場で学科卒業生全員の名前を読み上げましたが、初めてなのでけっこう緊張しました。


2013年(平成25年)1月12日(土)
卒業論文審査会でした。皆さん、緊張したようです。無事終わって良かったですね。活水高校の生徒が3人、参加してくれました。


11月8日(水)
福岡女学院高等学校に出張講義に行き、陰陽道の話をしてきました。

昔、日本史の手ほどきを受けた先輩が、授業を見に来られ、少し緊張しました。

聞いて下さった先生方と生徒の皆さん、有難うございました。



9月21日
活水高校の体育祭に行ってみました。

メイポールダンスは、見事に編み上がりました。


メイポールダンスの成果


6月30日(土)卒業論文の中間報告会でした。皆さん、お疲れ様でした。


4月2日始業式、4月3日入学式、ガイダンスと忙しい日々でした。とにかく新入生はおめでとうございます。


3月下旬に、福井県おおい町名田に行ってきました。戦国時代に、土御門家(安倍晴明の子孫)が、京より下って滞在した場所です。江戸時代の陰陽道を天社神道と言いますが、その伝統を引き継ぐ、天社土御門神道本庁にも行きました。急の訪問であったにもかかわらず、丁寧に応対してくださいました。写真は、HP掲載の許可を頂いています。
御用提灯

土御門家三代の墓



名田庄はまだ雪が積もっていました


3月9日より小値嘉島に行ってきました。歴史と民俗の宝庫の島です。取り急ぎ、ほんの少しだけ写真をお見せします。見せるべきものは、まだまだたくさんあります。現地では平田賢明氏に特にお世話になりました。




神ノ崎遺跡


万日堂

水ノ下古墳

 こぶりな牡蠣

野崎島の野首教会 野崎島は沖の神島神社などもありキリスト教に限らない、信仰の島です。

宇久島にも上陸しました。


3月7日は卒業式でした。皆さん、おめでとうございます。




1月27日(土)長崎県立美術館で開かれている「ウルトラマンアート」展に行ってきました。
桜井浩子氏がトークに来ていました。懐かしかったです。当時の特撮技術の工夫や、着ぐるみの造形にたいへん興味を引かれました。
写真は会場にあった、有名な「メトロン星人のちゃぶ台」シーンの再現です。










「ウルトラセブン」最終回の、金城哲夫氏の自筆原稿が展示されていました。
モロボシダンの台詞「一番星が出る頃、西の空をみてくれ。大きな光が宇宙に帰っていく…」
があったあと、最後のシーンのところに
「山中(朝)」
という書き込みが挿入されていました。
金城氏の最初の設定では最終シーンは夕方だったのが、急遽、朝に変更されたようです。






1月14日(土)人間関係学科の卒論の報告会(ポスターセッション)でした。
皆さん、お疲れ様でした。


2012年(平成24年)
1月3日(火)に県北の虚空蔵山に行きました。すぐ下の写真は、山頂からの景色、一番下は遠くからの山容です。








11月20日(日)歴史発見大学で講演しました(場所は長崎歴史文化博物館)。タイトルは「五島の歴史」です。


2011年11月2~6日 アメリカのクリーブランドに行きました。グレートレイクスのひとつ、エリー湖が印象的でした。













ホテルの近くのファストフード店で昼飯を取りましたが、量が多くて大変でした。
















2011年10月9日(日)長崎はおくんちでした。浜町で、人気のコッコデショを見ました。迫力がありました。









2011年10月1日(土)活水市民大学「歴史の世界から現代を読み解く」を担当。サブタイトルは「古代の天変地異から」
東日本大震災によく似ていると言われる、貞観の大地震の史料(『日本三代実録』貞観11年〔869〕5月26日条)から始めて、歴史上の地震についてお話ししました。参加者からもいろいろ質問を頂きました。

2011年4月11日に、受講生と活水周辺の史蹟を探索しました。ここは大徳寺です(寺はありません)。ここの梅が枝餅屋さんは地元では有名です。




『日本三代実録』貞観11年〔869〕5月26日条
廿六日癸未(みずのとのひつじ)。陸奥国(むつのくに)の地、大いに震動す。流光、昼のごとく隠映し、しばらくして人民叫び呼び、伏して起くることあたわず。あるいは屋仆(たお)れて圧死し、あるいは地裂けて埋め殪(たお)る。馬牛駭奔して、あるいはあい昇り踏む。城郭・倉庫・門櫓・墻壁の頽落顛覆することその数を知らず。海口哮吼し、声雷霆に似たり。驚涛・涌潮、泝洄漲長し、忽ち城下に至る。海を去ること数十百里。浩々としてその涯を弁えず。原野道路、惣ちにして滄溟(そうめい)(=海)となる。船に乗るに遑(いとま)あらず、山に登るに及び難し。溺死者は千許り。資産苗稼、ほとんど孑(けつ)遺なし。(原漢文)



2011年3月22日(火)東日本の震災に遭われた方々に謹んでお見舞いを申し上げます。




2011年1月3日(月)佐世保の泉福寺洞穴に行ってきました。約1万2千年前と言われる豆粒文土器が見つかった、旧石器・縄文時代の遺跡です。帰りに佐世保バーガーを食べました。








2010年12月下旬 琉球大学に行ったついで、沖縄本島南部の遺跡を見てきました。お世話になった方々にお礼を申し上げます。
沖縄そばは、ヨモギを入れて食べます。ほかは、第2次大戦の戦跡、糸数城です。

















サトウキビジュースを作っているところ(インドでも飲みました)












首里城漏刻門(漏刻=水時計を置いて、時を知らせました)













糸満市の具志川城












石敢当













2010年6月26日(土)活水市民大学講師を担当しました。タイトルは「病気と日本史~歴史のなかの流行病~」。豪雨のため聴衆は多くありませんでしたが、そのような中、足をお運びいただいた方に感謝いたします。内容は結核・麻疹など4種類の病気を取り上げて、流行病の歴史的背景について駆け足でお話しました。

なおこの日の晩は部分月食が起こるはずでしたが、残念ながら雨のため観察できませんでした。

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2010年4月7日(水)人間関係学科の新入生歓迎会でした。セッティングをしてくれた在学生の皆さんもお疲れ様でした。

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2010年4月3日(土)活水女子大学の入学式でした。

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2010年1月9日(土)卒業論文の報告会でした。4年生の皆さん、お疲れ様でした。

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2010年1月2日(土)「たけしの教科書に載らない日本人の謎」にTV出演しました。


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2009年8月11日(火) 3年ゼミで軍艦島ツアーに行きました。波が高くて、残念ながら上陸は出来ませんでした











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○2009年7月22日の長崎市は最大食分93%の日食が起こりました●

(活水女子大学東山手キャンパスにて撮影)

(うえに同じ)
墨水に太陽を映して日食を観測する方法が昔はあったといいます。写真は少しわかりにくいのですが、確かに観察はできました。



大学の校庭では大勢の教職員・学生が日食を観察していました。曇り空に時々日食が現れました。古代・中世なら不吉な日食を隠すために僧侶が読経して雲を呼び寄せましたが、現代では「雲よ晴れてくれ!」とたくさんの天文ファンが祈っていたはずです。


2009年7月4日(土)午前中は卒業論文の中間報告会でした。皆さん、お疲れ様でした。
午後は、真栄平房昭先生(神戸女学院大学教授)の講演会「琉球王国の海域貿易」がありました。海の香料・竜涎香のお話はたいへん興味深いものでした。受付、会場係担当の学生の皆さんもお疲れ様でした。

2009年6月27日(土)長崎古代史研究会(会場は長崎大学教育学部)に参加しました。活水のゼミ生1名も参加です。



2009年4月3日(金)活水女子大学の入学式でした。

2009年3月21日(土)山口大学時間学研究所主催「時間学特別セミナー」(市民対象公開講座)で「日本史と時間」のタイトルにて講演をしました。

2009年3月14日(土)有馬學教授(九州大学大学院比較社会文化研究院・日本近代史)の最終講義(福岡市九州大学西新プラザ)に出席しました。

2009年2月9日(月) ランタンフェスティバルも今日で終わりです。今年も賑わっていました。写真の場所は新地中華街と湊公園です。




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2009年1月26日(月) 本日は旧元日です。長崎は新地中華街や寺町、浜町を中心に、ランタンフェスティバルが始まりました。在長崎華僑の人たちの新年の祭りが中心にあります。活水女子大学は唐人屋敷跡(館内町)や新地の近くです。

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2009年1月10日(土) 人間関係学科の卒業論文報告会がありました。全員がポスター発表形式で参加します。皆さん終わってほっとしたようでした。
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2008年12月27日(土) 長崎古代史研究会(会場は長崎市立図書館)に参加しました。研究会の詳細は右欄の「長崎古代史研究会」をクリックしてください。
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2008年11月29日(土) 長崎古代史研究会(会場は活水女子大学東山手3号館)に参加しました。研究会の詳細は右欄の「長崎古代史研究会」をクリックしてください。 

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2008年10月7~9日の長崎は、ご存じのおくんちです。今年も賑やかでした。



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2008年9月27日 長崎古代史研究会(会場は活水女子大学東山手3号館)に参加しました。研究会の詳細は右欄の「長崎古代史研究会」をクリックしてください。

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2008年9月27日 活水中学校・高等学校の体育大会に行ってみました。快晴で生徒はみんな元気でした。活水の体育大会も今年で第109回目です。活水中高には、旧鎮西学院(現在諫早市)の被爆校舎があり、今でも使っています。また学校のある竹の久保には、かつて貝塚もありました.

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2008年9月11日 出張にて佐賀県に行きました。佐賀藩は長崎警備を担当し、諫早市や長崎市深堀町も佐賀藩領でした。 

鹿島城大手門


鹿島城赤門(現在は鹿島高等学校正門)

 まず鹿島城跡(鹿島市)です。
 佐賀藩は、複雑な事情をともなって戦国大名・龍造寺氏より鍋島氏へと政権交代しました。その影響もあって龍造寺系家臣の勢力が強く、また鍋島一門の有力支藩(内分支藩)が存在しました。鹿島藩もそのひとつです。鹿島城そのものは佐賀の乱(1874=明治7年)で焼けましたが、ふたつの城門は残りました。
 10世紀に編纂された『延喜式』兵部省によると、「鹿島馬牧」があったとされます。肥前鹿島駅から城の方向に歩いてみると、ずっと平らで、そのうち丘陵にかかります。ここに牧場があったとすると、平地を溝や柵で囲ったか、谷戸の一方に柵を作って牧としたか、二つの可能性があると感じました。




 次は武雄鍋島家の別邸庭園です。武雄鍋島家(もと塚崎後藤氏)は龍造寺系の有力者で、佐賀藩内では親類同格でした。19世紀にはいると、当主・鍋島茂義、茂昌は洋学の導入に勤しみ、大砲の鋳造も手がけました。また長崎の砲術家・高島秋帆に家臣とともに茂義も弟子入りしています。近くの歴史資料館には武雄洋学の常設展示室(蘭学館)があります。ちなみにここは武雄温泉の近くで、奈良時代に編纂された『肥前国風土記』杵島郡にも「郡の西に湯の泉出でたり」とあります。


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2008年8月10日 活水女子大学のオープンキャンパスでした。お手伝いの在学生の皆さん、お疲れ様でした。木簡のレプリカを作成して、展示しました。


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2008年7月12日 社会科学セミナー(3年生)の学生が、長崎古代史研究会(会場 長崎大学教育学部)に参加しました。研究会の詳細は右欄の「長崎古代史研究会」をクリックしてください。

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2008年7月5日 人間関係学科4年生による卒論中間報告会(於 活水女子大学東山手キャンパス・本館)がありました。3年生も原則全員参加です。副査教員の思いがけない質問や3年生の結構鋭い質問にたじたじしたり、4年生には良い経験になったようです。会は盛況に終わりました。

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2008年6月6日 社会科学セミナーの一環として、ゼミ生と悟真寺の稲佐国際墓地に行きました。

   
 終南山悟真寺は長崎市曙町にある浄土宗の寺院です。長崎のキリシタン全盛時代に、仏教布教の拠点として慶長3年(1598)に聖誉を開基とし、明の商人・欧陽華宇、張吉泉の援助で開かれたとされます。今も華僑の人たちのお墓があります。また出島でなくなったオランダ人のためのオランダ墓地、幕末にロシア人が稲佐を拠点にしようとした関係もあってできたロシア人墓地、またアメリカ人墓地(ポルトガル人、フランス人も葬られているそうです)もあります。駐日オランダ大使が献花にきたり、また中段左写真の堂ではロシア正教の主教がミサを行います。お寺のかたからはゴルバチョフ・ソ連大統領が訪問した時の様子などのお話をうかがいました。

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2008年4月12日 長崎古代史研究会(会場 活水女子大学)で報告をしました。
詳細は右欄の「長崎古代史研究会」をクリックしてください。

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